
10月6日、済州島へ到着したのは朝9時をちょっと過ぎた頃だった。釜山の空港からの移動だったので入国手続きもなく、そのまま空港ロビーへ。キム・ヂョンシクさんの姿を捜した。最初、周囲を見渡しても捜せず牛山君が教えてくれた携帯電話にかけようとしたとき、満面の笑顔でキムさんがやってきた。2年ぶりの再会だった。
お互い『アンニョンハセヨ〜』と挨拶を交わし、さっそくジュリアの写真を手渡すと『オォ、ジュリア。牛山さんから活躍を聞いていますよ。良かったですね。メイセイオペラ、元気ですよ』と話し、隣にいた申(シン)さんを紹介してくれた。
シンさんは5年前まで大阪で暮らしたことがあるキムさんの友人の友人。わざわざ通訳のために付き合ってくれた。なにせ、こちらは英語が片言。韓国語は挨拶ぐらいしかできなかったので、この配慮には本当に助かった。
メイセイオペラがいるプルン牧場は韓国の最高峰・漢拏山(ハルラ山)の中腹、およそ600mの標高にあり、空港から約45分。記憶に残っていた風景が次第に増え、プルン牧場へ到着。入り口近くで当歳馬7、8頭が放牧中で派手な大流星の栗毛がまず出迎えてくれた。『ぜったい、メイセイオペラの子供だよな。お父さんにそっくり!』
その予想はズバリ的中した。
メイセイオペラは2年前の夏、静内のレックス・スタッドを旅立ち、浦河の検疫所を経由してキムさんのプルン牧場へと渡った。GI3勝の肩書きを持ち、晴れて種牡馬入りし初年度、70頭以上の花嫁が殺到。これ以上は望めない形で第二の生活へ入った。メイセイオペラは種付けも非常にうまく、しかも早漏(これは種牡馬には絶対必要なこと)。レックス・スタッドを訪れるファンも多かったという。
しかしトーホウエンペラーのレポートでも報告したとおり、右肩上がりで配合頭数が増えていく種牡馬はほんの一握り。多くは年々減少し、仮に増えるとすれば初年度産駒が“大”活躍したとき。今になって分かったことだが、メイセイオペラ産駒は自身の現役時代と同様、総じて奥手。現在の競馬は早い時期、特に2歳戦で目立った大物が出現しないことにはどうしても苦戦を強いられる。
メイセイオペラももちろん例外ではなく、種牡馬生活4年目には配合頭数が3頭まで激減していた。それと前後してお隣の国・韓国でコスモバスティーユなどのオペラ産駒が活躍中。ちょうどこのタイミングでオーナーから今後の相談を受け、韓国競馬通の第一人者で知られるケイシュウニュースの牛山(基康)君に率直に話をしてみた。『メイセイオペラの種牡馬生活をなんとしても続けさせてやりたい。韓国で預かってくれる牧場がどこかないかな』と。
その依頼を受け、牛山君は様々なネットワークを使って調査してくれた。そして『済州島がメインの生産地で日本びいきの牧場オーナーがいますよ。韓国はアメリカ、オーストラリアが主流なんだけど、日本競馬を高く評価してくれている。近々日本にきますが、オペラの話をしてみます』
以降、とんとん拍子で話が進み06年7月8日、キムさん夫妻がオーロパークへ来場。メイセイオペラのオーナーと初対面し、契約を取り交わすための綿密な打ち合わせをした。契約内容は譲渡ではなく、3年間の無償貸与。移動費、管理費等はすべてキムさんが負担し、3年後に再度、今後のことを友好的に話し合うこととした。
そしてこの一文を契約書の中に盛り込んでもらった。
『本馬(メイセイオペラ)は岩手の、そして日本のダート界のヒーローであることを双方が尊重しあい、本馬自身のことを最優先に考え、お互いが良き方向へ向かうよう努力する』
実はそのとき、大恥をかいた。同日メイン・ガーベラ賞に我がジュリアが走ることになっていた。芝はデビュー戦以来2度目だが、スピードが身上なので芝が合うと確信(後に錯覚だったことが判明)し、自信たっぷりにキムさんに伝えた。『ジュリアは組合馬主の所有馬なんですが、自分も10分の1を持っています。前回勝って調子もいいので、馬券を買ったほうがいいですよ』
嗚呼、しかし。ジュリアはまったく走らず、12頭立て11着。大敗を喫して面目丸つぶれだったが、キムさんはしっかりと覚えていた。『あのとき、ジュリアの単勝を買いましたが、見事外れでしたね』。こちらは恐縮し平謝りするばかり、みんなは大爆笑だった。

メイセイオペラとの再会の瞬間がきた。馬房前で入念な手入れを済ませ、モンゴル人の担当者が引っ張ってくると、ちょっと興奮気味だったようで後ろ脚で立ち上がって威嚇する。さすがにビビッてしまったが、徐々に落ち着きを取り戻していく。それでも容易に触らせることはなく、決して人懐っこくはない。つねに凛として独特のオーラを全身から発していた。
静止ポーズを撮るのにも一苦労だった。自分の意思をはっきり表わし、なかなかカメラに収まってくれない。これもメイセイオペラらしかった。それから30分ほどが経ち、ようやく解放されたメイセイオペラは自分の住まいに戻り、何度もこちらの様子をうかがう。放牧地に生えていた草を与えると喜んで食べていたが、嫌いな草はうまく口から出し、再びボリボリ。その音もなかなか豪快だ。よく食べ、よく動く。韓国・済州島へ移動後、病気らしい病気は一度もなく、いたって健康。現在、14歳。種牡馬としてまさに男盛りを迎え、2年前よりさらに逞しくなった印象を持った。

メイセイオペラはビワシンセイキと同じ屋根の下で住み、目の前が放牧場。わざわざ荒地を切り開いて斜面のはるか向こうには玄界灘を望める。オペラが日本を恋しくなったとき、いつでも海の先には故郷があるから安心してくれ、というキムさんの配慮からこの場所に厩舎と放牧場が作られた。
取材日はあいにく曇り模様だったが、かすかに白い海が見ることができた。ここでもメイセイオペラは大事にされ、愛され続けていた。本当にありがたいことだ。
キムさんが『メイセイオペラの当歳馬がいるから、見に行こう』と連れられていき『この子供がそうですよ』と言った瞬間、思わず叫んでしまった。
“やっぱり!!”
オペラの子供は3月生まれで他の馬に比べて一回り大きく、ボス的な存在だった。とても人懐っこく、近づいても怖がらない。ふじポンがチューをしても困らず?されるがまま。『生まれた子供たちは骨量があって生産者の評判も上々です。2年後、韓国生まれのオペラ産駒のデビューする日を楽しみに待ってください。私も心待ちにしています』とキムさん。

済州島の滞在時間はわずか6時間。本音を言えばもう少しゆっくりしたかった。強行スケジュールを組んでちょっと悔いも残り、一泊でもできたらなとも思ったが「たら、れば」はやめよう。わずか6時間だったからこそ、凝縮されたときを過ごすことができたかも知れないのだから。
帰国後、バタバタと南部杯の準備をしている中、小西調教師から電話がきた。「松尾さん、どうします。おそらく除外だろうなと思っていたら、選ばれそうですよ。調子は悪くありません。でもねェ、相手が相手ですからね。みなさんのご希望どおりでいいですよ」
正直、迷った。組合馬主なので自分一人では決められないし、南部杯は岩手が誇る正真正銘のGI(あえてそう言わせてもらう)。出るだけ…では失礼だし、第一ジュリアにはあまりにも厳しいレースであることは、火を見るよりも明らかだ。
メンバーに相談したところ、意見は同じ。結論は「最終判断は小西さんにお任せしますが、メイセイオペラが初GIを制した南部杯に選ばれるのも何かの縁かも知れません」だった。
南部杯の格を落とすのか―の批判は素直に受け止めよう。客観的に見ればジュリアは持ち味のスピードすら生かすことができず、大敗するのは目に見えている。菅原勲騎手の言葉じゃないが、GIは別格だ。
それでもメイセイオペラに感動し、いろいろな夢をもらった一人のファンとしてメイセイオペラ産駒が南部杯に出走すること、それ自体が大きな夢だった。
ならば、栄えあるGIに選ばれたことを光栄に思おう。まだ夢の途中だけど。