昭和60年代から、岩手競馬は時代の先取りを企図して交流競走を始めた。
昭和61年から始まったダービーグランプリに続き、昭和63年には馬産を保護・育成した旧南部藩の歴史にちなんだ、北日本地区の交流重賞「南部杯」が産声をあげた。
記念すべき第一回の出走馬は次の通り。
枠 番 馬名 騎手 所属 人気
1 1 サクラエクスプレス 小竹清一 岩手 7
2 2 ホワイトシロー 佐藤雅彦 岩手 6
3 3 イワタケテスコ 佐藤浩一 岩手 4
4 4 トップビクトリー 福田三郎 足利 9
5 5 カシワクラフト 前野幸一 上山 10
6 6 グレートサーペン 工藤 勉 高崎 3
7 7 グレートコマンダー 渡辺正治 新潟 2
8 イチコウハヤタケ 五十嵐剛紹 新潟 5
8 9 トウケイフリート 菅原 勲 岩手 1
10 シャイニングルビー 千田知幸 岩手 8
その年すっかり本格化した地元岩手の5歳(現4歳)トウケイフリートが人気を集め、東北地区の交流重賞で実績を残していた新潟のグレートコマンダーが2番人気に推された。
正直「初めて見る遠征馬」の評価は難しく、なじみの有る馬に支持が集まったのは自然な成り行きだった。初見参組みの中では、ハイペースになりがちな交流競争にあって、差し脚が評価された高崎のグレートサーペンが3番人気となった。
緊張と興奮の中で中継席に座った私は、そこで初めての光景を見ることになる。
レースはホワイトシローの逃げを、グレートコマンダーがマーク、3番手の内に新潟の古豪イチコウハヤタケ、外に本命トウケイフリートが続き、緩みの無いペースで進む。
向こう上面、先頭から順次後方を映し出すテレビモニターが捕らえたのは、中団から外目を通って追い上げをはじめたグレートサーペンの姿だった。見ると鞍上の工藤勉騎手がずいぶんと派手な追い方をしている。“ムチを下から上に振り上げ、馬にムチを見せた勢いでその手を突き上げるように上げ、遠心力を利用するように後方に回して尻を叩く”=いわゆる水車ムチ(当時は風車ムチという言い方とほぼ同じ頻度で使われたと記憶)を見せたのである。
水車ムチといえば、昭和61年のジャパンカップでジュピターアイランドを優勝に導いたパット・エデリー、そのエデリー騎手に感化され、その年の朝日杯をメリーナイスで制した際の根本康広騎手らがレースで用い話題を集めた。
なので「言葉として」「映像で見て」の知識はあったものの岩手競馬で見たことは無く、・・・ああ、これがそうなのか、と感激したものだ。
“〜工藤勉の水車ムチだ、グレートサーペンが上がって行きます!!”
グレートサーペンは、たちまち先行馬群を射程にいれた。最後の直線、3番手の外目を進んでいたトウケイフリートを一気に交わすと、よく粘っていたホワイトシロー、一旦は先頭に立ったグレートコマンダーを豪快に差し切ったのである。
上位2頭が遠征馬。1番人気のトウケイフリートの敗戦。と、落胆も大きかった岩手のファンだが、まだ見ぬ強豪馬の強さを知り、初めて見る他地区のジョッキーの技術に触れられたことは幸せだったと思う。
バランスを崩しやすいといわれる水車ムチ(最近は風車ムチという言い方が主流)は追い方のアイテムとしてはそう多くの騎手が取り入れている物ではない。だが、気迫のこもったプレーが勝利という結果に結びついた時の鮮やかさは、まさにプロフェッショナルにふさわしいパフォーマンスという印象をファンに残す。
グレートサーペンの工藤勉騎手は、通算1838勝の成績を残した一流ジョッキーであるが、南部杯の水車ムチで勝ちクラの数以上に記憶に残る騎手となった。
そして岩手の競馬人とファンが感じた悔しさと驚きが、やがて岩手競馬のレベルアップにつながって行ったと思えば、その水車ムチは時代を切り開くものだった。
時は移り、JRAを含めた全国交流競走、そしてGI競走へと南部杯はグレードアップした。賞金格差の広がりなどで、岩手の人馬にとっての壁が随分と高くなってしまった感もあるが、越えがいがあると考えよう。とりわけ若い力を伸ばすには南部杯は絶好の舞台だ。
個人的には高橋悠里・トーホウライデンのコンビの挑戦に期待している。負けて責められる相手ではないのだから、岩手で一番ガッツポーズの似合う騎手に思い切って勝つために乗ってもらいたいと思う。
加藤久智(IBCアナウンサー)さんのブログはこちら・・・『
岩手競馬つれづれ草』