南部杯優駿伝説

マイルチャンピオンシップ南部杯の思い出を語るリレーコラムです
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第15話 トウケイニセイ完敗の南部杯/斎藤修さん
テシオ誌面/1995年南部杯特集 今でこそ、どこの地方競馬のどのレースの馬券でも、パソコンや携帯が使えさえすれば、いつでもどこでも買えるようになったし、レース映像だってインターネットでほぼリアルタイムで見られるようになった。
 ほんの10年ちょっと前のことを思えば、まったく夢のような時代になったものだ。

 かつて地方競馬の北日本(北関東以北)交流として、「北日本マイルチャンピオンシップ南部杯」というレース名で行われていたのが、「全日本マイルチャンピオンシップ南部杯」となったのが95年のこと。
 それまで中央・地方の交流といえば、ごく限られたレースしかなかったものが、ようやく拡大をはじめたのがこの年。南部杯もその先陣を切って中央・地方の全国交流として扉が開かれた。

 そして実現したのが、当時「世紀の対決」とも言われたトウケイニセイとライブリマウントの直接対決だった。
 すでに8歳(旧9歳)となっていたトウケイニセイは、ここまで41戦38勝、2着3回。脚部不安があったため遠征競馬は限られていたが、当時、東北3県(岩手、上山、新潟)の持ち回りで行われていた東北サラブレッド大賞典では、新潟、水沢、上山の3場で3連覇を果たすなど、無敵を誇っていた。
 対する中央のライブリマウントは、ここまでダートで6連勝。フェブラリーS(当時GII)や、大井・帝王賞、旭川・ブリーダーズゴールドCなど、ダートの主要交流重賞を総ナメにしていた。

 その2頭が、まさに雌雄を決することになったのが、95年の南部杯だ。

 冒頭にも書いたとおり、現地まで行かなければ、馬券を買うこともできないし、もちろんレースを見ることもできない。
 ぼくは前日のうちに水沢入りした。そしてレース当日は、まず朝の調教を見に水沢競馬場まで足を運んだ。今となっては、朝の調教の時間帯にこの主役2頭の姿を見たのかどうなのか、まったく記憶にないのだが、おそらく雰囲気だけでも感じたかったのだろう。

 朝8時ごろだっただろうか、ホテルに戻ろうと競馬場を出るときに驚いた。もうこの時間からファンが入場門に行列をつくっていたのだ。中央のGIなどでは珍しくもなんともないが、いくら大レースとはいえ、地方競馬では異例のこと。
 再び開門時に競馬場へ。続々とファンが押し寄せ、パドックはこれまで見たこともないような人垣ができてきたのにも驚いたが、さらに驚かされたのが、昼過ぎには場内で販売されている専門紙が売り切れてしまったこと。この日、水沢競馬場に来場したファンの数は、関係者にとっても想定外だったようだ。

 そしてレースなのだが、実はこの原稿を書くにあたり、トウケイニセイの全成績を確認しようと本棚から引っ張り出したのが、岩手競馬情報誌『テシオ』の前身である『IWATE DERBY 1996』。トウケイニセイの引退特集があり、全成績が掲載されているからだ。その号には「95年レース回想録」という特集もあり、その南部杯の回想録を書いていたのが、なんとぼくだった。そんなことはすっかり忘れていた。せっかくなので、レース展開はそのときのものを再掲する。

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 ヨシノキング(大井)の強引な逃げで幕が開いた。ライブリマウントが2番手につけ、これをトウケイニセイが半馬身差でぴったりマーク。ヨシノキングに競りかけて行く馬がいないため、すぐにペースは落ち着く。3コーナーでまずライブリマウントが仕掛け、トウケイニセイもこれに続く。直線を向いて依然先頭はヨシノキングで、ライブリマウントがこれに襲いかかる。そしてトウケイニセイはいつものように……と思ったが、まったく伸びない。他馬を前に見てあえいでいるトウケイニセイ。はじめて見る光景だ。結局、直線は前の2頭のマッチレースとなり、ゴール前ライブリマウントが、差は半馬身であるが完全にヨシノキングを捕らえたところがゴール。
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 ライブリマウントにはもしかして負けるかもしれない、というのはある程度想定していたが、まさかそれ以外の馬に先着されるとは……というのを、当時の強烈な印象として、今でも記憶している。
 ぼくは、その回想録にこうも記している。
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 ライブリマウントの強さを絶賛しながらも、「2着は欲しかった」と悔しそうに話していた菅原勲騎手が印象的だった。
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 そして今回、あらためてライブリマウントの全成績を見て、思い出したことがある。
 この南部杯が、結果的に生涯最後の勝利だったということだ。
 東京大賞典4着、川崎記念3着。このあたりまではそれなりのレースをしていたが、その後、記念すべき第1回のドバイワールドCに遠征(6着)して以降、9戦して5着が最高という成績。連戦連勝のころの強さを思えば、まったく別馬になってしまったかのようだった。

 競馬ではときに、ハイセイコーやオグリキャップがそうだったように、最強馬を「怪物」と表現することがある。しかしトウケイニセイは、誰が名づけたのか、怪物ではなく「魔王」と表現された。
 ライブリマウントは、その「魔王」を完膚なきまで叩きのめしたことで、精根尽き果ててしまったのかもしれない。


斎藤修さんのブログはこちら・・・『斎藤修の重賞ピックアップ

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